大千秋楽おめでとうございます&お疲れ様でした!!!!!
来鶴さんの「お疲れさん!」、めちゃくちゃうれしかった〜〜!声が出せない観客の代わりに舞台裏に控えてるキャストさんたちが歓声送ってたのもめちゃくちゃめちゃくちゃうれしかったよ〜〜パライソ〜〜ッ…大好……………。
おめでとうありがとうの気持ちで感想書きました。めちゃくちゃ長いので眠れない夜とかにお読みください。
パライソ感想(鶴丸以外)
推しが出ていないシーンで一番好きだったのが、右衛門作音頭でした。
噂が伝播していく恐怖。それをすごい感じました。演出すご。右衛門作の叩いた太鼓が足音になり、「天草四郎が我らを導く」という救いが不協和音になっていく。ひとの愚かさにゾッとしました。
作品のコピーにもありましたが、「これが、彼らの日常」なんですよね。
刀剣男士の使命は歴史を守ること。その重みを、私はまったく理解してなかったな。審神者を6年10ヶ月やってるのに…。ゲームではたった数回クリックして戦闘して進軍、だけど、その間人間もいるだろうし、遡行軍の動き次第では人間に手をかけないといけない、だって戦争なんだから。実感させられました。
そしてしんどい、あの兄弟。
あくまで私の考えなのですが、兄弟たちは決して不幸ではなかったんじゃないかな、そうだったら良いな、と思います。浦島や鶴丸から寄り添いの言葉をかけてもらったことは、多少なりとも救いであったような気がするのです。
浦島に母を慕う気持ちや兄弟仲を肯定してもらえたこと。鶴丸によく戦ったと褒めてもらえたこと。それらは、物語の結末で兄は死に弟は物部となる、不幸だったかもしれない一生の中での彩りになったのではないか。そうであってほしいんだ私は。浦島くんと海と夕焼けを歌うあんちゃん、めちゃくちゃ良い笑顔なんだもん。おかしなおっちゃんに石を命中させたことを鶴丸に褒められるふたり、幸せそうなんだもん。
……続編で成長した弟くんが鶴丸を恨んでたらヤダ〜〜!
あーしんどい話でしたね。。大好き。。
松井役の笹森くんが、たびたび歌合で顕現したときの情景を印象強く語っておられましたが、ア…てなる。なってるずっと。
松井から鶴丸への感情は、刷り込みに近いのかもしれない。歌が聞こえて、ひとのからだを得て、そして初めて目にした白い刀は古参で強くてみんなから信頼されていて。
島原の乱に使われた刀であるがゆえに、これで良いのか?と戸惑いながら鶴丸に従う松井の表情がほんっと、ほんっとに…。刷り込みにプラスして、信頼して良いはずなんだ、従って良いんだと自分に言い聞かせていたらだんだん…という変化がつらかったです。松井。好きだょ。。(?)
兄弟の歌う「ここに生まれ落ちた」「誰も教えてくれない」、歌合で松井と桑名が顕現したときの「なぜ我を生み出した」と同じだな〜と思いました。刀ミュ、全体的にそういうメッセージを発してますよね。考え続けろ、という。
「問い続けよう」と覚悟して刀剣男士になった松井が、島原の乱で迷いながら任務を遂行するの、すごい、すごいよね。語彙がなくなる。
豊前に寄り添ってもらって、そして元の主に「赤い血を忘れるな」と言われて、あの松井はもう大丈夫なんだろうな。考え続けるんだろうな。って思います。
あと、大倶利伽羅〜〜!
突然2部の話を挟みますが、回替わりMCめっちゃ最高だった。笑ってはいけない大倶利伽羅。ばしこくんまじでアドリブうま。私が現地で観れた回が偶然、日向が泣き落としして大倶利伽羅が懸垂してくれる回だったんですよ!ありがとう。本当にありがとう。
1部の話に戻りますね。大倶利伽羅ソロやば…やばくないですか?曲名早く知りたい〜って公演期間中もだついてたんですけど、白……白き…息………?!だめだろそれは。(?)
大倶利伽羅が刀を振るうたびに霧が晴れるの…霧っていうか…霜…これ…霜じゃないですか…?雪が降る演出も意味深すぎる。霜月騒動を見せてくれ。
大倶利伽羅、ほんとに良すぎて元々大好きだったけどさらに好きになってしまった。でも大倶利伽羅くんのことを話そうとすると鶴丸国永さんの話になっちゃうから…。
もう鶴丸国永さんの話をします。
鶴丸スパルタ国永さんについて
なんであんなにスパルタなんですかね。ミュ鶴さん。OJTなの?
浦島くんや松井が人を斬るのに躊躇いを見せていて、ウ〜〜ッとなりました。
みほとせ男士と比べると、パライソ男士たち、明らかに人を斬るのを躊躇ってるんですよね。この差はなんだろうと考えたとき、本刃の性格や来歴もあるかもしれないけど、やっぱり任務への慣れが大きい気がします。
刀剣男士は最初は人を斬るのに抵抗があるのではないか。慣れてくると、使命のためなら例え人間であっても斬れるようになるけれど、最初は時間遡行軍以外は斬りたくないんじゃないかな、って。
任務を経て、人間でも斬れるようになって、そしてみほとせで男士たちが直面したように、その剣の重みを知る。「考え続けることが俺たちの役目」。鶴丸は、早くこの考えまで至らせたかったのではないか、と思うのです。
その結果、浦島にはケアが必須と判断したから、「見せたくないだろ」と釣りに出かけさせた。自分の信念には反するけれど、弟を物部に託すことも受け入れた。
一方で、「鬼だろ」と言ったら「いや」「今がその時だ」と鶴丸を肯定した豊前の成長は、想定外だったんでしょうね。松井の支えになってほしいと編成したんだろうけど、それでも、想定していたよりも随分頼れる刀だったんだろうな。続く心覚での豊前の「知りもしないでころしたくない」は、鶴丸隊長の影響を大いに受けていそうだな、と思います。
先述したとおり、ミュのメッセージなんだと思います。「考えるのだ」「考え続けることが俺たちの役目」。
で、じゃあなんで、考え続けさせようと急いでいるんだろう。
葵咲での明石への態度をみるに、登場時点からそうなんですよ。ミュ鶴さん。スパルタ的というか、刀剣男士を育てること、みたいな意識が強い。そしてそれは、三日月宗近という機能を知ったから変化したわけではないと思います。
長期任務に原因があるのか。それとも、本丸の過去に何かあるのか。だって古参なんですよね。それも、三日月と鶴丸だけが…。
ここらへんはまた後で考えます………。
鶴丸隊長と島原の乱
ロザリオを見つけたときの鶴丸、笑みが最初はキラキラ!て感じで、咀嚼しきれなかったんですが、大楽に近づくにつれて自虐の感情が強くなっていってましたね。演技うま。
島原への出陣の任務をどう遂行するか、天草四郎がころされたときから考え続けて、そしてあの瞬間、ロザリオを見つけた瞬間、思いついた案がまとまったんでしょうね。成り代わり、歴史を立て直す作戦を。
もうさ〜〜「刀剣男士やめるかい」、しんど。
意図的な感情表出だ!!!!!!!て思いました。バイステックの七つの原則。鶴丸国永さん、もしかして社会福祉士の資格持ってる?
この瞬間、自身の抱いた怒りさえも、松井や浦島の感情の増幅に使っているんですよ。ふたふりが自分の感情を正しく認知して表出できるよう、あえて自身の怒りをあらわにしている。やば〜〜。
鶴丸は出陣先が島原の乱だと告げられた時点で、あらゆる可能性を視野に入れていたんだろうな、と思います。「複雑な任務ではない」けれど、37000人が死ぬつらい任務なので。
すごく慎重に動いていたと思います。鶴丸隊長。
どうして、鶴丸は出陣先が島原だと言わなかったのだろう。浦島と松井が任務に慣れていないからだったんじゃないかな、と思いました。あまり状況を理解できてない時に色々説明されても飲み込めないじゃないですか。だから、言わずに出陣した。
おそらく最初は、その都度説明するつもりだったのかもしれません。少なくとも、浦島には。でも彼は素直で、穢れがなく、優しくて、鶴丸はそれを失うのが怖かったのではないかな、とか、そういうことを考えました。
そう、不思議だったんですよ。なんで浦島を編成したんだろう。浦島は鶴丸にとっての「かつて持っていた、今は失われた白」なんですかね。怒りで抑えつけるしかない悲しみややるせなさ、人に寄り添いたいという情を、浦島が担ってくれることで、鶴丸は任務のために切り離しておける。
そして、浦島くんが鶴丸にとっての白なら、右衛門作が鶴丸にとっての「白の中の黒」なのかなと思ったりもしました。
鶴丸から右衛門作への嫌悪、めちゃくちゃ大きかったじゃないですか。あれは2部ソロの「意志も闘志もなけりゃ自由ないディストピア」がすべてな気がしています。
右衛門作の作り上げた天草四郎信仰、光とか救いとか聞こえの良い言葉を使ってはいるけど、要は思考停止でしかないんですよね。「許された」と歌いながら幕府側の首を掲げる。異教徒であるとして寺を燃やす。奪われる苦しみも悲しみも知っているのに、思考停止して、神の名のもとひとからは奪う。
生きてたんだよ。みんな。
鶴丸国永と大倶利伽羅
大倶利伽羅は作中ずっと鶴丸のそばにいましたね。誰よりも深く理解して、早く動いて、鶴丸が歌えば旗を振り、静かの海に逃げたいと言えば肯定し、よろけたら支えて帰ろうと声を掛けて。ここ、結構意外だった。
みほとせを経験した大倶利伽羅だから、と言えばそれまでなんですけど、そうなんだろうけど。得られた感情があまりにもクソデカすぎて全然咀嚼できてないです。まだ。時間くれ。
静かの海をふたふりで歌った後の大倶利伽羅の「そうだな」、優しさゆえに鶴丸に寄り添ったわけじゃなさそう。好き。
たぶん、吾平の墓に誓った「戦をすべて終えたら」と同義なんですよね。鶴丸の言う、「風の吹かない退屈な静かの海へ行ってみたい」。
刀剣男士としての使命を終えたとき、いつか辿り着きたい、それはパライソを目指した人々と同じ信仰で。信仰は必要なんだよねえ。こんな任務ばっかりしてたら心が壊れちゃうもん。
三日月は、自分や仲間の心を守るために物部に縋ったのかもしれない、とも思いました。
そして今回の鶴丸にとってはそれが大倶利伽羅だったし、たぶん大倶利伽羅はいつだって鶴丸を受け入れるんだろうな。だって「この身を鍛えるのみ」「お前は崩れるな」なので。いやクソデカすぎる。時間くれ。
……て公演期間中メモしてたら、伊達双騎がきちまったよ。しかも過去編…過去編?!双騎で過去編やってくれんの?!!手厚!!!!!
リアタイで配信みてたんですが、カテコ後に遡行軍との戦いが始まって伊達が出てきて、「でもあのふたり〜」って回想になった瞬間画面止まりました。ここで止まる?!リロードしまっくったらすでに大倶利伽羅が倒れてたので、ア〜〜生意気やってボコられちゃったヵナ…て思ったんですが……。オタクの幻覚?????
楽しみだね〜〜〜チケットぜって〜取るゾ!の気持ちで生きていきたい。
感想まとめ
鶴丸は、最初の天草四郎や兄弟たちに、かつての主と重ねていたのかもしれない、とも思いました。安達貞泰のほうです。鶴丸国永を使うことなく、まだ幼いうちにお家騒動に巻き込まれ命を落とした子。しかも死後、墓まで暴かれて。
なんとなく似てる気がしました。
ミュの鶴丸は、「幼い子どもが将として担ぎ上げられ命を落とした」「大勢の命が失われた」島原の乱を、(かつての主である)安達貞泰視点での霜月騒動に重ねているのかもしれないな、って。
いや私がミュで霜月騒動をみたいがゆえにこじつけてるだけなんですけど。
これまた私が岡宮来夢くんを推しているがゆえの贔屓目かもしれないのですが、来鶴さんの表情の演技がさいこ〜ッでした。
特に目。目がすごいことになってる。
くるルカの時も感じたんだけど*1、目を細める時に乗る感情の質量が進化してるというか、感情にこ〜〜粘度というか湿度というか、そういうのが加算されるようになったな、って…。
鶴丸、ほんと、何を抱えているんだろう。
わざわざ浦島に「なんで強いんだろう」「強い人は悲しみを背負っている」と言わせたわけなので、伏線だとは思うのですが。
三日月は、歴史を川の流れに例えて大筋が変わらないのであれば「救える範囲で」救ってやりたい、と言う。それは優しさにほかならないし、三日月が自分や仲間の心を守るための機能でもあるのかもしれない。鶴丸が今回の任務で大倶利伽羅を編成したように。
だけど、そこには、「救う人間をこちらが選別する傲慢さ」がたしかにある。「救える範囲」は歴史の流れによる。
水心子くんは心覚でソハヤの「(守るために)必要な時もある」に納得してたけど、私は全然、全然納得できないです。
鶴丸に感情移入しすぎちゃった……。
「やれるもんならやってみろ」、めちゃくちゃ複雑な感情ですよね。もちろん怒りもあるし、八つ当たりでもあり、悲しみも悔しさも内包していて、強がってもいるのかな〜って。
三日月の意図や気持ちは理解している、でもそれじゃあんまりじゃないか。その悲しみを、「自分を憎めるくらい」傷ついている鶴丸は素直に表出できない。だからあそこで大見得を切る演技なのかな。去年のsparkle*2で、男らしさを求めて「粋=時代劇」と解釈したと語られていたので、強さの演出のような気もするし。複雑!感情!!!て感じ。
来鶴さんがカテコで言ってくれたように、鶴丸国永にお疲れ様、って言いたいけど、ゆっくり休んでほしいけど、でもあの刀はそんなことを望んでいないので。演じている岡宮来夢さんはゆっくり休んでほしいな〜って思います…。
一年と8ヶ月、本当に本当にお疲れ様でした!
素敵な作品をありがとうございました。
付記として。
せっかく作って行ったのに、心の準備が間に合わず(刀ミュ初現場ゆえに無作法があったらとこわくて)出せなかったうちわを見てください。供養。
伊達双騎では絶対うちわ振る〜〜〜ッ………!
*1
王家の紋章観劇ブログ
*2
sparkle vol.40より