三日月宗近という機能、あるいは呪いー三日月と鶴丸について考えるー[刀ミュ考察]

 

なんかそれっぽいことこねくり回して「三日月と鶴丸を絶対絶対仲直りさせてくれよな!!!」って言いたいだけの記事です。結論ありき。

鶴丸(を演じている役者さん)推しゆえに多少認知が歪んでいます。こういう解釈もあるんだな〜程度でお読みください。

 

 

三日月宗近という機能、あるいは呪い

 

三日月宗近という機能」、初出は『葵咲本紀』ですが、イコール物部システムとは限らないんじゃないかな、と思っています。

個人的には、「機能」と「手段(=物部)」は分けて考えたほうが良いのではないか、と。

 

「機能」の話からします。

三日月宗近だけが「存在が確か」である。このことは『つはものどもがゆめのあと』で髭切が言及しています。「君だけが」とも。

つまり、これは三日月宗近だけに与えられた設定だと思うのです。三日月だけが存在が確か。ゆえに、「ひとの意識に介入する力」を有しているのではないか。

いわば洗脳ですね。『つはものどもがゆめのあと』では源頼朝に対してその力を行使しました。

洗脳とは違うけれど、脳に語りかける、というふうにその力がふるわれた場面もあります。『幕末天狼傳2020』において、病床にふせる沖田総司の前に猫として現れました。そして、近藤勇が処刑されることを示唆します。

そして、『東京心覚』では、水心子の意識に介入するかのような描写が見られました。

これらの「ひとの意識に介入する力」、これが「三日月宗近という機能」なのではないか、と思っています。

これを鶴丸は「機能」と言いましたが、光世は「呪い」と称している。

 

呪い、ということはつまり、視点を変えれば祈りとも願いとも取れるものなのでしょう。

 

三日月は「優しすぎる」と『東京心覚』において平将門が語っています。

おそらく彼が、「悲しい役割を背負わされた者」に手を差し伸べ「物部という役割」を与えているのは、その優しさに起因するものと思われます。

けれどそこには確かに、救える者と救えない者が存在する。「線を引かれる」。そう発した水心子はソハヤの「必要な時もある」という言葉を聞いて考えを改めます。しかし、鶴丸は憤った。

 

視点を変えれば、呪いでもあり祈りでもある。

しかし、物部システムそれ自体が呪いであり祈りであるとはどうしても思えないのです。

だって、大仰すぎる。

物部システムはミュージカル刀剣乱舞の世界に最初からある世界観ではないのです。三日月宗近というキャラクターが、生き延びさせた者たちに与えた役割なのです。

呪いでもあり祈りでもあるというのなら、その役割を与えた、そのシステムを構築した、三日月宗近自身を指す、と考えるのが自然です。

 

「機能」と「物部」を分けて考えます。

「機能」とは、三日月宗近の持つなんらかの力、おそらくは「ひとの意識に介入する力」だと思われます。それは呪いでもあり祈りでもある。

そして物部は「手段」であり、優しすぎる三日月がその力を行使して救える者を救おうとする、そのための手段なのだと思います。

 

鶴丸が憤っているのは、この、物部システムという「手段」についてだと思うのです。

 

 

三日月宗近という機能に対する鶴丸国永

『東京心覚』で描かれた本丸の状況から、三日月は本丸にほぼおらず、そして審神者でさえも手出ししづらい状況にいるのでは、と推察しています。

では、それはいつからそうなったのでしょう。

『つはものどもがゆめのあと』では出陣任務に応じています。ですが、『葵咲本紀』では、鶴丸の「あいつは大人しくしてるのか」という質問は否定されたようす。

『つはものどもがゆめのあと』から『葵咲本紀』までの間に起きたこと。というか、三日月宗近視点において起きた変化。

それは、「審神者が源氏に自身を探るよう命じたこと」なのではないか、と思います。

 

でも、待ってほしい。

そもそも審神者はどうして、源氏に密命したのでしょうか。謀叛の意志はないと信じつつも、何かやっているようなので探った。では、なぜ、「三日月が何かやっているようだ」と察したのか。

これ、そうに違いないと期待してるんですが、今度の双騎で描かれる気がします。大倶利伽羅との出陣で、鶴丸は見つけてしまったんだと思います。「三日月が何かやっているようだ」、と。*1

 

ただ、その任務を経ても、源氏に密命させても、物部システムまでは把握できなかったでしょう。それを審神者が把握したのが、『葵咲本紀』だと思います。

鶴丸は、信康の姿を見てすぐに「物部(=「三日月の手の者」であること)」を把握した。もともと、確信には至っていなかっただけで、なんらかの関与を察していたのだと思われます。

 

観客側に提示されている物語の範囲において、三日月が意識に介入してみせた場面に鶴丸は居合わせていません。

そのため、その力について知っているのかどうかは不明ですが、あれだけ強固な信頼関係があるのなら、審神者から聞き及んでいるのではと思います。

源氏が審神者に三日月が頼朝を洗脳しようとしたことをどう報告したかによりますが、まあ、してるでしょ。たぶん。膝丸がいるわけだし。

 

三日月宗近という機能」≠物部システムだとすると、光世は物部のことは知らないかもしれないんですね。「ひとの意識に介入する力」を使って三日月が何をしているかは知らない。だから、「呪い」だと答えたのかもしれない。

 

そして、繰り返しになりますが、鶴丸の「好きじゃない」「ふざけやがって」という憤りは、物部システムに対する言葉なのではないか、と思っています。

「救ってやれよ、三万七千人」。「悲しい役割を背負わされた者」だけ、あるいはその中の一部だけを(歴史に影響が出ないように)「線を引いて」救うやり方に対して憤っているように感じられるのです。

 

そういえば鶴丸って、長期任務、何してたんでしょうね。双騎でなにかを察知した鶴丸が、三日月が過去に出向いて介入した歴史を調査していたのかもしれない。そしてそれは、平将門太田道灌、天海、勝海舟に関する歴史だったのかもしれない…。

 

ていうか対比されすぎなんですよこのふたふり。なに。なんなの。

 

 

半座って、なに?

「半座わかつ 華のうてな」の部分を聴いてからず〜〜っと考えてきたんですけど、この「半座」、何を指しているんだろう。

 

先に言っておきますと、もう、何回こねくり回しても三日月と鶴丸を指すとしか解釈できなかった。ごめんな。(?)

ふたふりは親しかった、あるいは意思疎通が図れていたが、"何かあって"今はそうではない。少なくともそれは確定事項だと思います。

 

で、ここからは私の解釈です。

 

浄土仏教において、「先立たば 遅るる人を 待ちやせむ 華の台の 半ば残して」という歌があります。義経と弁慶の辞世の句のやりとりがこれに当たります。だから、華のうてなを今剣と岩融が歌ったのなら、ああそういうこと、って思えたんですよ。

だけどこれを歌ったのは三日月ひとふり。しかも1と2だから3もあるかもしれない。余談ですけど。

 

「蓮のうてなの半座を分かつ」。

法華教において、二仏並坐像があります。「位の高い仏たちの中で、対等なもの同士が一つの座を分かち合う」。

…やっぱり、華のうてなにおける「半座わかつ」二人は三日月と鶴丸だと思います。

ミュ審神者と三日月(というか刀剣男士)のことかなとも思ってたけど、そうだとしたら三日月が審神者の前では舞を披露せず、そして「主は知らなくて良い」と言う意図がわからない。分かつ気ないじゃん。*2

 

「宿世わかつ」も「因縁を分かち合う、共有し合う」って解釈できちゃうんですよね。

この二人が古くから本丸を支えてきた………。

いや、冷静に考えて、レア5とレア4が古参って何?どういう状況?

初期刀の次に三日月と鶴丸が顕現、という可能性もなくはないですけど、やっぱり不自然じゃいなですか。浦島くんの発言からは「三日月と鶴丸」とそれ以外の刀剣たちの間の顕現時期が大きく空いている、と考えられる。

じゃあ初期刀は誰なのか。初期刀の次に三日月と鶴丸が顕現したのだとして、4振り目5振り目は誰?どこいった?古参じゃないの?という疑問。不自然に思える。

 

…これは鶴丸のソロ曲「キミと見上げたあの日の空に」の歌詞を見た時からず〜〜っと思ってたんですけど……。

ミュ本丸、「三日月と鶴丸」以外を残して一度崩壊している可能性、ないですか。こわ。

 

今後、なぜこの2振りだけが古参なのか、ミュ本丸に何が起きたのか、「三日月宗近という機能」について鶴丸はどう思うのかどういうスタンスで行動しているのか、明かしてくれ……ッと切に願います。

ていうか一度殴り合っとく?その方が早いかもしれない。太刀風熱く吹き抜ける〜〜した後仲直りしよ?ね?????

 

 

付記として。

余談、というか、もうこじつけでしかないんですけど。

鶴丸が一部で歌ったソロ曲が「真白な鳥(葵咲)」と「無常の風(パライソ)」で、三日月は「この花のように」「華のうてな」を歌ったの、やばくないですか。もう絶対次三日月が本公演出たら月ってタイトルに付く曲歌うじゃん。「月傾く雪の朝に春を想う」じゃん。*3

月傾く雪の朝…?極夜?Endless Night???いやまって…雪の朝…霜月騒動…ウッ頭が…。

 

 

*1…伊達双騎の予想

伊達政宗の兜の三日月も三日月宗近の紋(真向き月に星紋)も起源は同じ妙見菩薩信仰

支倉常長(1613年伊達政宗の命によりローマへ渡航するも通商交渉は実らず1620年帰国、2年後死亡)の時代へ出陣

・パライソの舞台である島原の乱は常長の死の15年後に勃発しているため、ほぼ同じ時代

・パライソでは「物部」を名乗る忍が登場している

・歴史上死んでいるはずの者が生きて忍(パライソでは知恵伊豆に仕えている)となっていることを知った鶴丸はそれを審神者に報告、鶴丸は単騎で長期任務に出て、大倶利伽羅は青江と遠征へ(みほとせ)、源氏に密命を出して三日月を探らせたのではないか(つはもの)

 

*2…ただ、壽歌の「半座を分かつは青き星」は歌っているのが蜻蛉切と大倶利伽羅なんですよね。なので無難に、青き星を地球と解釈して、「審神者と刀剣男士が半座をわかつ」と思っていて良いのかな〜と思っています。今のところは。

 

*3…歌合の神遊び前に鶴丸が唱えた口上、月以外はもう語られた物語なんですね。つはもので花の香に昔を懐かしみ、葵咲で鳥の囀りに耳を澄まし、パライソで風に散る草葉の露に袂を濡らし、あとは月傾く雪の朝に春を想うのみ…。