三日月宗近という機能、あるいは呪いー三日月と鶴丸について考えるー[刀ミュ考察]

 

 

24/5/30 大幅に加筆修正しました!

江水、伊達双騎、陸奥一蓮までで明らかになった内容を加味しています。(*1)

 

鶴丸(を演じている役者さん)推しゆえに多少認知が歪んでいます。こういう解釈もあるんだな〜程度でお読みください。

 

 

三日月宗近という機能、あるいは呪い

 

三日月宗近という機能」、初出は『葵咲本紀』ですが、イコール物部システムとは限らないんじゃないかな、と思っています。

個人的には、「機能」と「手段(=物部)」は分けて考えたほうが良いのではないか、と。

 

「機能」の話からします。

三日月宗近だけが「存在が確か」である。このことは『つはものどもがゆめのあと』で髭切が言及しています。「君だけが」とも。

つまり、これは三日月宗近だけに与えられた設定だと思うのです。三日月だけが存在が確か。ゆえに、「ひとの意識に介入する力」を有しているのではないか。

いわば洗脳ですね。『つはものどもがゆめのあと』では源頼朝に対してその力を行使しました。そして『東京心覚』では、水心子の意識に介入するかのような描写が見られました。

これらの「ひとの意識に介入する力」、これが「三日月宗近という機能」なのではないか、と思っています。

これを鶴丸は「機能」と言いましたが、大典太光世は「呪い」と称している。

 

呪い、ということはつまり、視点を変えれば祈りとも願いとも取れるものなのでしょう。

けれどそこには確かに、救える者と救えない者が存在する。「線を引かれる」。そう発した水心子はソハヤの「必要な時もある」という言葉を聞いて考えを改めます。しかし、鶴丸は憤った。

 

 

三日月宗近という機能に対する鶴丸国永

 

『東京心覚』で描かれた本丸の状況から、三日月は本丸にほぼおらず、そして審神者でさえも手出ししづらい状況にいるのでは、と推察しています。

では、それはいつからそうなったのでしょう。

『つはものどもがゆめのあと』では出陣任務に応じています。ですが、『葵咲本紀』では、鶴丸の「あいつは大人しくしてるのか」という質問は否定されたようす。

『つはものどもがゆめのあと』から『葵咲本紀』までの間に起きたこと。というか、三日月宗近視点において起きた変化。

それは、「審神者が源氏に自身を探るよう命じたこと」なのではないか、と思います。

 

でも、そもそも審神者はどうして、源氏に密命したのでしょうか。謀叛の意志はないと信じつつも、何かやっているようなので探った。では、なぜ、「三日月が何かやっているようだ」と察したのか。

……それが大倶利伽羅との双騎出陣で描かれるんじゃないかなーと思ってたんですけど、なかったね!!!!!笑

でも、鶴丸はここでも月について語っていました。

さらに、鶴丸は、長期任務に行っていたことが明らかになっています。

 

その任務を経ても、源氏に密命させても、物部システムまでは把握できなかったでしょう。それを審神者が把握したのが、『葵咲本紀』だと思います。

鶴丸は、信康の姿を見てすぐに「物部(=「三日月の手の者」であること)」を把握した。もともと、確信には至っていなかっただけで、なんらかの関与を察していたのだと思われます。

 

観客側に提示されている物語の範囲において、三日月が意識に介入してみせた場面に鶴丸は居合わせていません。

そのため、その力について知っているのかどうかは不明ですが、あれだけ強固な信頼関係があるのなら、審神者から聞き及んでいるのではと思います。

 

ていうか対比されすぎなんですよこのふたふり。なに。なんなの。

 

 

半座って、なに?

『つはものどもがゆめのあと』で「半座わかつ 華のうてな」の部分を聴いてからず〜〜っと考えてきたんですけど、この「半座」、何を指しているんだろう。何回こねくり回しても三日月と鶴丸を指すとしか解釈できねえ。

…と思ってたら、『陸奥一蓮』で「三日月と鶴丸のことだよ🎶」って言われちゃった!ワハハ!三日月と鶴丸のことだったネ、、!

 

ふたふりは親しかった、あるいは意思疎通が図れていたが、"何かあって"──おそらくは初期刀を失い、そうではなくなった。

そのことが、『陸奥一蓮』の多数の描写から読み取れます。

 

で、ここからは私の解釈です。

 

浄土仏教において、「先立たば 遅るる人を 待ちやせむ 華の台の 半ば残して」という歌があります。義経と弁慶の辞世の句のやりとりがこれに当たります。だから、華のうてなを今剣と岩融が歌ったのなら、ああそういうこと、って思えたんですよ。

しかしそれを、三日月宗近が、『つはものどもがゆめのあと』で歌いました。そして『陸奥一蓮』では、鶴丸国永も。

 

「宿世わかつ」も「因縁を分かち合う、共有し合う」って解釈できちゃうんですよね。

この二人が古くから本丸を支えてきた………。

いや、冷静に考えて、レア5とレア4が古参って何?どういう状況?

 

では、ここで一旦、私が3年前に書いた推測をご覧ください。

 

初期刀の次に三日月と鶴丸が顕現、という可能性もなくはないですけど、やっぱり不自然じゃないですか。浦島くんの発言からは「三日月と鶴丸」とそれ以外の刀剣たちの間の顕現時期が大きく空いている、と考えられる。

じゃあ初期刀は誰なのか。初期刀の次に三日月と鶴丸が顕現したのだとして、4振り目5振り目は誰?どこいった?古参じゃないの?という疑問。不自然に思える。

 

以上。

当たってたね〜〜。名推理じゃん。

以下、陸奥一蓮までを観劇した後の考察を加筆します。

 

『江水散花雪』にて刀ミュ本丸に顕現済みだと明かされた、山姥切国広。

彼は古参ではあるものの、「初期刀ではない」と彼自身が明言しています。そして、意味深に流れる紫色のライト…。

まあ、歌仙兼定なんだろうな。

刀ミュ本丸の初期刀って、歌仙なんだろうな。ほぼほぼ確定状態の中、刀ミュのファンサイトで一年かけて『花暦』が描かれ、そして2024年1月に『陸奥一蓮』の公演が情報解禁されました。うん。歌仙なんだろうな。

 

陸奥一蓮』で明かされた、刀ミュ本丸の古参は以下の通りです。

一、初期刀(おそらく歌仙兼定

二、三日月宗近

三、鶴丸国永

四、──

五、──

六、──

4振り目から6振り目にかけてノイズがかかる演出のため、定かではありませんが、おそらく山姥切国広は6振り目に顕現したと思われます。(*2)

 

てかこの辺りの演出がほんとに最高最高最高なので、観てくれよな!しか言えない。はやくアーカイブください。

 

で、そうだとして。そうだとしてだよ。

半座って、なに?

なんなんだろう。なんで、このふたふりが、「半座分かつ」なんだろう。

おそらくほぼ同時に権限したのかな?と思われるのですが、だからって、ねえ。

魔法シリーズのダンブルドアとグリンデルバルドみたいに血の誓い交わしてるとかじゃないと成り立たないだろ。

 

ただ、仲直りしてくれ〜〜!と思いながら当時(2021年)本記事を書いたので、それが叶った?叶いそう?で良かったです。ありがとう陸奥一蓮。

 

(現場入れたのでそのうち感想記事を個別で上げます!!)

 

*1

修正するのめんどいなーで放置してたんですけど(すみません)、当ブログで一番検索流入が多い記事なので、刀ミュのこと調べたい方がこれ見て勘違いしたらさすがにまずいな〜と思って直しました!!

 

*2

5/30現在アーカイブ未配信なので確認できないんですけど、4〜6のどれかはノイズ入ってた?よね??違ったら直します!!!!!

たぶん六振り目、という根拠は、岡宮来夢くんがニコ生で言ってた「三日月が60歳、鶴丸が58〜59歳、まんばが51〜52歳として…」からの推測です。でも本編ですでに明言してたかも〜〜!忘れちった。ちょっと自信ない。