[舞台BANANAFISH後編感想]そして、幸せを抱いてアッシュは眠りについた[再演希望]

 

舞台BANANA FISH後編、お疲れ様でした。

中止はとってもとっても残念だけど、再演されることを願って、配信を観て書き留めていたことを記事にします。

 

なんでアッシュは死を選んだんだろう。

 

あの後、ラオに刺された後、すぐに治療すれば助かったのに。アッシュはそのまま図書館に入り、英二の手紙を広げて、眠りにつきました。幸せな顔で。

 

前編をみたときに思いました。なぜ、英二はアッシュのそばにいたいと思ったんだろう。

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原作を読んで前編を観てもうまく言語化できなかったそれが、後編のくるむ英二をみてしっくり来ました。

愛してたんだよ。

そうか〜〜。愛してたのか。子どもを愛する親のような、慈愛のような愛情でしたね。もう大丈夫だよ、ママがそばにいるからね、みたいな。

 

これは私の解釈なのですが、英二は映写スクリーンみたいだなと思います。純粋な、子どものまま大人になったみたいな子。子どもがなんでも吸収するように、周囲の真似をするように、英二は相手を映写して反射する。相手の望む姿になる。無意識のうちに。ちなみに、岡宮来夢くんも似たところがある気がしています。あくまで個人的な意見です。

そんなふうに、相手の望む姿になる英二が、アッシュに寄り添った。孤独を抱えて震えるアッシュを慈愛で包み込んだ。アッシュがそれを求めていたんでしょうね。"理解"る〜〜〜!わかるよアッシュ………………。怖かったよね………………………。

 

アッシュは英二に母を求めていた。だから、英二と離されたアッシュはどんどん弱っていった。うれしかっただろうな。英二が自分のためにゴルツィネを撃ってくれたこと。…怖かっただろうな。英二はアッシュのために銃が撃てるようになりました。ニューヨークに来て、アッシュと過ごして、それを覚えてしまった。無自覚のうちに。

「一緒に日本に行こう」と言われて、アッシュはどれだけうれしかっただろうな。けれど、歓喜はほんの少しだけ、あとは大きな恐怖におそわれたと思います。日本では銃を持つ必要がない。つまり、アッシュが英二に与えられるものは何もない。日本に帰ったら、英二にアッシュは必要ない。要らなくなる。

それでも英二は幸せに生きていけるけれど、アッシュはそうではない。アッシュにとっては、劇中のこの瞬間だけが幸せだった。「こんなに幸せなことはない」、「幸福でたまらない」。幸せの絶頂だったのだと思います。

アッシュは、英二は日本に帰れば自分のことなんて忘れて、幸せに暮らせると思っていたんじゃないでしょうか。

 

英二はずっと、「人間は運命を変えることができる」「運命から君を守りたかった」と伝えていたのに、アッシュにはそれが伝わらなかった。前編感想記事でも書きましたが、アッシュは英二の自分への想いを理解していなかったんですよね、手紙を読むまで。

いや、伝わっていた、理解しかけてたのかもしれない。

でも終盤、英二は撃たれて、そしてブランカが言います。「共犯者にする気か」、「彼はお前を救うために存在しているんじゃない」。その瞬間、アッシュは掴みかけていた英二の自分への想いに対する理解を手放してしまった。

すさまじい罪悪感だったんだと思います。「男娼上がりで殺人鬼」の自分が英二を巻き込んでしまった、早く平和な世界に帰さないと、って、そればっかりになっちゃった。

二人は最後、顔を合わせることさえできない別れだったんですよ。病院で、中に入る前に引き裂かれて。ここで見つめ合って手を取り合えていたら、英二が自分を想ってくれていること、同じくらい大切で、そばにいたいと思っていることが理解できたのかもしれない。

 

でも、一番の分岐点はやっぱり、キリマンジャロの雪に触れたシーンだったと思います。あのとき、英二が「安心した」ように、アッシュのことを理解できたように、アッシュも英二を理解できていたらな、って。「人間は運命を変えることができる」、なぜなら「ぼくがそばにいる」からだって。理解できていたらな。「ずっとだ」って、言ってくれてたのにな。

 

アッシュの孤独を理解して寄り添ってくれたのは英二だけで、だからこそ、それを受け止めてくれたからこそ、英二がアッシュの中で神聖視されていったような気がします。

 

舞台版、原作よりしんどめの演出になってましたね……。英二が…英二がそばで………………。なんだこれ。初日に配信でみて、思わずウワーッて叫びました。耐えられなかった。ピアノの音やば〜〜。

そりゃあさあ、アッシュからしたらもうこの幸せを抱いてここで終えたい、って思うよ…。だって今が幸せの絶頂だもん。英二が、「僕の魂はいつも君とともにある」って言ってくれたんだもん。幸せの象徴なんだよこの手紙は。もう何もいらない、というか、もう失いたくないから、失わないで済むようにここで終えたい、って…思うよ…。私なら思う。

 

舞台版は尺の都合で結構駆け足なんですけど、そこが、なんていうか、アッシュの見た走馬灯みたいだな、って思いました。

登場人物の服がだんだん厚着になっていく演出も好きです。時の流れを端的に表していましたね。この密度の濃いひとときは決して短くない時間だった、なのに、たった数時間で終わっていく。

 

私は光の庭が大大大大大好きなので、正直カテコ後くるかな〜って期待してたんですけど、走馬灯なんだとしたら、ない方が美しいですね。

アッシュは知らない。知ることはない。英二が自分を失ったあと抜け殻になるだなんて…知らなかったんだよ……ッ………!

 

カーテンコールで役者のみなさんが涙をこらえるような顔だったのがすごくすごく印象的でした。初日から泣いてたくるむくんはカテコでは笑顔だったけど。かわいい。

 

今回は一度も劇場で観ることが叶わず、くるむくんが役を生きるさまを見られなかったのですが。きっと、稽古期間から英二として生きて、板の上で英二として感情を動かして、素晴らしいお芝居だったんだろうな。

アッシュを慈愛で包み込んだり、あるいははしゃいだり、踏ん張ったり。身を裂かれるような思いでアメリカを後にしながらも、さよならは言わないと気持ちを寄せたり。

カメラを通して観るのと、生で、劇場でくるむくんを目で追いながらその感情を受け取るのとでは、全然違うから、すごく、すごく残念です。

くるむくんが今このとき、英二として生きたお芝居はもう見られないんですよね。悲しい。

個人的に、ルカを演じてからくるむくんのお歌もお芝居もものすごく質が高くなったな、って思っていて。その後、一年半かけて役を作り込んだパライソの鶴丸も素晴らしくて、その直後の英二だったので、なおさら、今のくるむくんのお芝居を観たかったな、って思っています。

今この瞬間は悲しい。それをしばらくは噛み締めていたい。陶酔させてくれ。

 

私は2/3のマチネに行く予定でした。

私と同じくチケットを握りしめて祈っていたファンも、そして公演を続行するために奮闘されていたカンパニーの皆さんも、みんなみんなお疲れ様でした。悲しいね。悔しいね。

どうか私たちの傷がゆっくりゆっくり癒えていきますように。そして、心置きなく観劇を楽しめる日が来ますように。

現実には難しいことだと理解した上であえて言います。再演、いつまでもお待ちしています。

またあのバナナフィッシュの世界に浸ることができますように!

 

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