ミュージカル『刀剣乱舞』〜江水散花雪〜の初日配信を視聴して、感じたことや考えたことを書いています。
ネタバレばかりになるので、未視聴・未観劇の方はご注意ください。
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違和感の演出。意図的な違和感。
それが、江水散花雪をみたときの私の率直な感想でした。
東京心覚が難解さを強調するように構成された、それこそを売りとした作品ならば、江水散花雪はまるで、違和感を意図的に作り出して描こうとしている。そんな気がしています。
散りばめられた「違和感」
江水散花雪、なんといっても初心者にやさしい。
私は葵咲本紀が初めて観た刀ミュだったんですが、もうあれと比較するとめちゃくちゃ思います。この作品だけで楽しめるから、入りやすい。刀ミュに限らず、新規層をどこで取り込むかって課題はすべての長期コンテンツに共通しますが、江水は初見の方でも楽しめる作品だったんじゃないでしょうか。
「三日月宗近という機能」が出て来なかったのも、その印象に一役買っていると思います。
時代背景は幕末。幕末天狼傳、そして結びの響、始まりの音の流れを汲んでいます。
導入はいたってオーソドックス。
大包平、南泉、小竜が遠征任務中に時間遡行軍を見つけて応戦したところ、二人の歴史人物と関わることになります。二人が名乗った瞬間、ハッと息をのみました。井伊直弼と吉田松陰。その時、出会ってはいけない二人が出会った…この作品のタイトルは、江水散花雪…。
刀剣男士が歴史人物と深く関わってクソデカ感情抱いて、それでも手をかけなきゃ歴史を守れない、って葛藤するのが好きなんですよ。しんどくなるのが好き。
今回は肥前くんにそのしんどみを見出してました。肥前!肥前くん!!!!!かわいいねえ!!!お小遣いあげよっか?!ごはんいっぱい食べさせてあげたい!!!!!!
岡田以蔵から発せられる「人を斬って何になる」もしんどすぎるし、大政奉還の前に暗殺されるはずの人間を「天誅浪士」として斬ることで元の流れに戻そうとしてるのもしんどすぎた。も〜〜ッ!肥前!!!!!肥前忠広!!!!!お前が好きだ!!!!!!!
終盤、肥前くんが岡田以蔵を斬るシーンで笑顔になっちゃった。最低でごめん。肥前くんに悲しいという感情を教えてあげるのが兼さんでよかった。悲しみを背負うと強くなるんだよ。
みんなが本来の歴史と今この世界で起こってることを比較して歌ってくれるシーンも大好きです!
めちゃくちゃ興奮したし、なにより歴史があんまりわからないので。シンプルにたすかる。歴史のお勉強。
14代目徳川将軍に、本来なら15代目である慶喜が就任した。そこで小竜は気付きます。ここが狙いだったんだ。
私はこの時まんまと、「いや何してんの?!もっと早く手をつけなよ?!」と叫んでいました。思わず。たぶん、この違和感こそが、この作品の狙いなのだと思います。
兼さんが増援として駆け付けた後、まんばとふたふりで話すシーン。ここでふたふりはお互いに、この歴史がすでに戻せないものであることを共有します。堀川くんたち新撰組の話題に気を取られて初見では気づかなかったけど。重要なシーンじゃんか。
吉田松陰は井伊直弼によって死刑に処され、そして水戸藩によって井伊直弼が暗殺される。それが本来の正しい歴史。でもここでは、井伊直弼と吉田松陰が共鳴しあい、弾圧も敵対も起きず井伊直弼が慶喜を支持したため、結果「徳川慶喜が14代目将軍になってしまった」。
「こうだったら良かったのに」という平和が訪れた結果、時の政府によってこの世界は放棄されてしまいました。
最後のシーンで、「放棄された世界」から抜け出し正しい歴史に戻ってきた刀剣男士たちは、桜田門外の変を目にします。江水散花雪。それは、井伊直弼が暗殺されることで完成される絵。歴史。
刀ミュで鶴丸国永を演じている岡宮来夢くんは、前作の静かの海のパライソでの「誰も教えてくれない」と歌うシーンを、ゲルニカと表現していました。(*1)
現場でそう共有されていたのだと思われます。そして、その画作りを、この江水散花雪ではど真ん中に持ってきたのではないしょうか。
パライソと比較「させられる」
今作では、井伊直弼と吉田松陰が共鳴し、平和な世が訪れました。信念に従い、「赤子が子守唄を聴きながら安心して眠れる世を」守った。それゆえに、江水散花雪という歴史を描くことができなくなりました。
正しい歴史のために、三万七千人を集めて撫で斬りする、という地獄を作り出した前作とは正反対です。
鶴丸が天草四郎に成り代わって島原の乱を起こさなければ、静かの海のパライソの世界も、放棄されていた。政府がそう判断したら、「歴史ごと切り離す」ことによって、兄弟たちも知恵伊豆もそして右衛門作も、全部化け物に変異していたのです。
ここで疑問が生じます。
どうして、強引にでも井伊直弼と吉田松陰を仲違いさせなかったのだろう。共鳴したのが、親しくなったのが、井伊直弼が吉田松陰を側近にしたのが原因なら、それを阻止すれば歴史を守れたのではないか。パライソのように。
江水を観ているとどうしても直近のパライソと比べてしまうのですが、それを誘導しているのだと思います。違和感の演出。
まんばではなく鶴丸なら、歴史を元の流れに戻せたのではないか。あの鶴丸は、「憎まれ役を演じる」ことができるから。井伊直弼に日米修好通商条約を調印させて、水戸藩と対立させて、14代目将軍徳川家茂も安政の大獄も歴史通り成立させられるのではないか。
十年以上も一緒にいれば、南泉が井伊直弼に懐いたように、情がうつります。おそらく、鶴丸ならすぐに動いて、民衆の人生を指揮したでしょう。
けれど審神者が任務を頼んだのは鶴丸ではなくまんばでした。そしておそらく、撤退を命じています。(*2)
それはなんでだったんだろう。
「放棄された世界」を新人たちに見せることが目的だったのか。それとも、審神者にはほかの目的があったのか。
強引に歴史を元の流れに戻せるような強さのある男士は鶴丸だけで、彼がほかの任務にあたっているから、だから、山姥切には撤退を命じた可能性もあります。
どちらにせよ、江水散花雪を描くにあたって采配されたのは、山姥切国広でした。
ミュんばをミュ鶴に「被せた」演出
まんばたゃ〜〜〜!かっこいい系のまんばたゃだ〜〜〜ッ!めちゃくちゃ興奮しました。かっこいいまんばを待ってたよ。
山姥切国広といえば、荒牧慶彦さんが通称刀ステで演じているものがめちゃくちゃ有名です。まんばと言えば、荒牧さんのまんば。刀ミュでまんばを演じている加藤大悟くんが、山姥切国広を「まんばちゃん」と呼んでいることからもそのことがうかがえます。
状況がすごくすごく鶴丸の時と似ているんですよ。岡宮来夢くんが葵咲本紀で初めて鶴丸国永を演じた時と。どうしたってステと比較されるから、広く浸透した解釈からは外す方が良い。刀剣乱舞という作品には「本丸ごとの個体差」が存在するため、そうすることで世界観がより深まるという特徴があります。
開始17分ごろ、舞台中央に登場して歌い舞うまんば。明らかに、葵咲本紀の鶴丸を意識した演出じゃないですか。
悲しみを背負い、強さを漂わせる古参の刀剣男士。
鶴丸と同じような演出や手法が被さると、そして、そこにも違和感が生まれます。
ニアリーイコールではあるけれど、鶴丸と同じ役割を持っているわけではないのでしょう。
今作では、三日月宗近も物部も登場しませんでした。三日月宗近という機能が出て来なかった。
話の展開として物部の介入する余地のあるものではなかったのですが、しかし、幕末天狼傳では再演に際して大幅な変更がなされていました。そう考えると、このお話に「三日月宗近という機能」が介入しなかったことにはなにかしらの意図があるはずです。絶対なんか意味はある。絶対ある。全然思い浮かばないけど。
ひとつ思い浮かぶのは、刀ミュにおける山姥切国広は、三日月宗近という機能の核心に触れるキャラクターではない、ということです。つまり、鶴丸とも三日月とも違う役割を与えられている。
まんばは審神者に任務を与えられて、「俺が勝手にやったことにする」「その方が良い」と答えます。ふらふらと一人でいなくなって勝手に進めていくそのさま、三日月宗近じゃん。つはものどもがゆめのあとの三日月と同じことしてる。「主は知らなくて良い」。鶴丸とも三日月とも重なるように演出され、かつ、ふたふりとは違うキャラクター。
内職していたのも、なんか意味持たせてそうだよな〜。まじで全然思い浮かばないけど。
…はじまりの一振り、誰なんだろうね。
歌仙かなあ。歌仙だろうなあ。
まんばが登場したシーンで意味深に光る紫色。肥前に尋ねられたシーンで流れる君待ちの唄。
まんばが想いを馳せる「お前」が歌仙兼定だという前提で話します。
だとすると、兼さんとの関係が絶妙なものになるんですね。それぞれ兄弟刀との関係性が濃い相手。兼さんとまんば自体はどういう関係なんだろう。
ていうか、兼さんって、この本丸では古参なのかな。むすはじでの陸奥とのやりとりを思い返すと、違う気がします。
違和感が提示した「新たな」布石
刀ミュ本丸における初期刀が歌仙なのだとして。まんばが隊長の時に、彼が折れてしまったのだとして。歌仙は最古参だけれど、今はいないということになります。
前作パライソにおいて、浦島が言っていました。正確には、浦島はそれを長曽祢から聞いたと言っていました。「鶴丸国永と三日月宗近を信じろ」「あの二人が古くから本丸を支えてきた」。なんでこの並びに山姥切国広がいないんだろう。
というか、一旦突っ込ませてほしいんですけど、この本丸、新人たちが古参のことを古参というだけでめちゃくちゃ信頼するじゃん。なんで。しかも古参たち、のきなみこじらせてるんですよね。三日月も鶴丸もまんばも。「強い刀は悲しみを背負ってるから強い」。うん……。こんなん…絶対なんかあったじゃん…。
古参たちだけが背負う悲しみがあるんでしょうね。おそらく、古参とそれ以外では、顕現時期が大きく空いている。…やっぱりミュ本丸、一度崩壊しかけました?折れたの歌仙だけじゃない気がするんだよな〜。
「初期刀が折れた(かもしれない)」という新しい情報を提示した江水散花雪ですが、もうひとつ、新たな布石を置いていきました。
井伊直弼を慕い、彼と吉田松陰が親しくなったことで放棄された世界で、南泉は「良い世界だったじゃねーかよ」と泣き崩れます。そんな南泉に、兼さんは言ってくれました。もしも政府の判断が間違っていたら、「ぶっ飛ばす」。
新しく提示された、「政府が間違っていたら」という価値観。
良いんだ?!って思いました。てっきり、タブーというか、そこは絶対的に正しい、という前提でメディアミックス化されてるもんだと思ってた。
二次創作ではあるあるじゃないですか。時の政府と歴史修正主義者がおのおののイデオロギー(*3)を戦わせており、正しい歴史はもとより存在しない。
そもそもなんですけど、元の歴史に戻すことが不可能になったら切り離せるのなら、刀剣男士、いらなくないですか。だって放棄された世界では、時間遡行軍も苦しむんですよ。刀剣男士を派遣して戦う必要あるか?
そこに住んでいる人々を守るのが目的なんだろうか。そこに住んでいる人々というか、その後の歴史を担うべき人々というか。でも、別に放棄したところで、また同じ時代に出陣してやり直せるんですよね。どういうことなんだろ。
そう、「政府が間違ってるかもしれない」って価値観を入れちゃうと、ちょっと複雑というか、面倒だと思うんですよ。根底から問い直す必要が出てくる。
どこまで掘り下げるんでしょうか。
先ほども述べたのですが、刀ミュにおける山姥切国広は、この「政府が間違ってるかもしれない」という価値観に切り込む役割を担っているのだと思います。まんば単体というよりは、彼が中心となって、かな。
「三日月宗近という機能」を解決したら、あるいはそれに迫っていく中で、ミュ本丸の男士たちが時の政府へ疑問の目を向けていくんじゃないかな。今後。
とりあえず、鶴丸と三日月は早く仲直りしてくれ。
(3/13追記)
大千秋楽おめでとうございます!
無事に迎えることができてほんとうにほんとうにうれしいです。
ブログのタイトル、ネタバレになっちゃうから伏せ字にしてたんですが(だるまの目玉てきな願掛けも込めて)、修正しました〜!
*1
ニコ生放送くるむるーむ#23 11月26日(金)配信での発言
*2
審神者に呼ばれた際、まんばは「俺が勝手にやったことにする」と言っているので、撤退を命じられはしたものの、あえて歴史を正さず「放棄された世界」になるよう仕向けたのはまんばの判断ということだと解釈しています。
*3
イデオロギーは思想や信念を意味します。政治の世界において、目指すものの異なる相手と対立する際に用いられています。