[王家の紋章2021]岡宮来夢くん帝劇デビューおめでとうございました

 

推しが夢の舞台に立つ、ということで、観に行ってきました。私も帝劇観劇デビュー。

 

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セットが豪華〜〜!オケとかダンス演出とかが、歌というミュージカルにおける心理描写を壮大なものにしていて、世界観に深く没入できました。

私が観たのは13日(金)マチネでした。

画像1

浦井さんのお歌がめちゃくちゃ繊細で…「ファラオとして」では孤独が滲み出ていた気がして…すごく好きです。
神田さんのヒロイン感!す〜〜〜ごい華やかでした。歌もダンスもキラキラ輝いてました。
一番好きだったのはアイシス!「いつも」で泣いちゃった。
私が観たのは朝夏さんのアイシスなのですが、新妻さんのブログを読んで*1アイシス好きだな〜って思っていたので、二人分楽しめた気がします。
たぶん私は感情の経緯がわかりやすいのが好きなんですよね…入り込みたいので……。

ここから推しの話をします。
くるルカ〜〜〜ッ!新しいくるむくんでした。

正直一幕はハムレットでみたくるむくんだ〜って思ってたんですよ。*2

二幕、イズミルのそばに控える姿みて吹っ飛びました。色気すご。

イズミルを見る時の目とエジプト勢を見てる時の目がすごい、すごい全然ちがくて、あそこにめちゃくちゃ感情がこもってました。よね?!
特にあの、イズミルとメンフィスがキャロルを奪い合い想いを吐露するシーンの目、あれがすごい好きで…同情とか憐憫とかが滲んでて……頭抱えちゃった。

私は色気というものを「経験から滲み出る心の奥底」みたいに解釈してるんですが、だからこそ年齢を重ねればある程度誰でも出てくるものだと思っているのです。
ハムレットをくるむくんが演じているときにはそれを感じなかったんですよ。

意図していたのか無意識かわからないけど、あのハムレットはまだ若くて、しかも主人公で感情移入がしやすく演じられていたので、ハムレットの心に強く影響を与えたであろう経験はすべて観客に提示された状態だったんだと思います。

だけど、ルカは登場シーンも限られる上に、間者という設定だから、ほとんどのシーンで「心はここにはない」という演技なんですよね。
エジプト勢を見ている時、その中で歌う時、メンフィスに頭を垂れる時には、企みの感情を出しつつも顔は寄り添うふりをしなくちゃいけないわけで、それがめっっっちゃうまかった………。
たぶんその演技が、「何かあるな」って表情の作り方が格段にうまくなっていて、だからこそ何か滲み出ていて色っぽかったんだろうな〜〜って思いました。びっくりした。

パライソがますます楽しみですね………。
そういえば音楽の日に出陣したあと、清水さんが「色気が増した」とツイートされていましたし。鶴丸〜〜!*3
無事に初日の幕が上がりますように。
岡宮来夢くん、王家の紋章、お疲れ様でした。
王家の紋章カンパニーの皆様が無事に博多座まで駆け抜けられますように。
観客のひとりとして応援しています!

 

(*1)

新妻聖子さんのブログ

ameblo.jp

(*2)

5Gハムレットの感想記事

halttaco-memo.hateblo.jp

みんなみて。たまにTBSチャンネルで放送してるから!!!!!

(*3)

清水さんのツイート

音楽の日にされていた投稿です。

 

 

[舞台BANANAFISH前編感想]なぜ英二はアッシュのそばにいたいのか


舞台バナナフィッシュ前編、大楽おめでとうございます&お疲れ様です〜!
17日マチネを現地で、初回及び前楽、千秋楽を配信で視聴しました。それらの感想メモを自分用の備忘録としてまとめたものです。

3月19日、推しが英二を演じると情報解禁され、翌日原作を履修しました。

その際、アッシュから英二への気持ちは理解しやすいけれど、英二からアッシュへのそれは個人的に理解しがたかったのです。
初日までの間にいろいろ考えて、原作者の「魂の相棒」発言を踏まえると、「アッシュのそばがしっくりきた(足りないものが埋まる、満たされる感覚があった)」のかな、と解釈するに至りました。

そうして迎えた初日、配信を視聴して疑問に思ったシーンがありました。
それは二人の出会いのシーン。「人をころしたことある?」と尋ねるくるむ英二の顔に怯えがなく、「やっぱり」と呟くシーンにはむしろ好奇心が宿っていました。推しのくるむくんに対して、感情の表出がちがくない?!と驚きました。英二は初めて命を奪い合う環境に触れたわけだから、恐怖心を抱いているに違いない、と思っていたのです。
初日を全景で3回観ても解けなかった疑問は、現地で観劇した瞬間、腑に落ちました。
そうか、英二は最初からずーっと、アッシュのことを怖がってはいなかったんだな。そう認識を改めました。

英二の最大の特徴として、個人的には「目の前の人物や事象をありのまま受け止めることができる」と解釈しています。
だからこそ、アッシュはすぐに英二に気を許したのかな、畏怖でも同情でもなくありのまま受容してくれた初めての、そして唯一の人間だったからかな、と。

そう理解すれば、アッシュから英二への気持ちはすごく共感しやすい。
例えば。アッシュの「カボチャが怖い」と吐露するシーン。「カボチャ」は「アッシュ自身」なんですよね。窓に映った自分自身が恐ろしくてずっと怯えていたのに、英二は背中を撫でてキラキラした瞳で肯定して、それを笑い飛ばしてくれる。
そんなんだめじゃん。救われちゃうよ。

けれど、英二からのアッシュへの気持ちは共感どころか、理解さえも難しい。
英二がなぜアッシュのそばにいたいと思ったのか。
その理解が深まったのは17日、劇場にて、推し定点で物語を観たときでした。

ゴルツィネ邸から脱出し、ホテルでアッシュと向かい合った英二は、「なんだか恥ずかしいね」と笑います。緊張や照れから、元気づけよう、明るく振る舞おうとしているのが伝わってきました。
その演技は初日も17日も変わらなかったと記憶しています。
変化があったのは、夜うなされるアッシュに英二が寄り添うシーン。
初日の力強く言い切るような「ずっとだ!」から、溜めて、絞り出すような言い方に変わっていました。元気づけよう、光あるところへ引っ張ろうとするある種の押し付けがましさが消え、心の中にある優しくしたいという気持ちが感じられました。そしてそれを、目の前のアッシュに伝えようとしている。英二が心から、アッシュのそばにいたいと思っていることを。

その後のシーンで二人は喧嘩をして、仲直りをします。
ああ、ここが、分岐点だったんだ。
私はそう思いました。二人があの結末を辿るに至った、最大の岐路はここだったのだ、と。
キリマンジャロの雪に触れるシーン。英二は、アッシュが死にたいと思っているわけではないということを聞いて「安心した」と微笑みます。
それは、アッシュが死ぬつもりではないことが「理解できた」からではないか。怒りを表出してまで話し合いたかったのは、「そばにいる」と誓ったアッシュを、理解したかったからなのではないか、そう思うに至ったのです。

このとき、英二はアッシュを理解しようとしている、つまり「すべてを受け止めようとしている」のにも関わらず、アッシュは、アッシュ自身は、「英二を危険に晒したくない」「(自分が手を汚すところを英二に)見ていられたくない」と思っているのです。
誰よりもアッシュ自身が、英二の自分への想いを理解していない。

現地で観劇したのち、前楽と千秋楽を配信で視聴しました。
千秋楽では、前述したシーンの「君の味方だってこと」あたりからくるむ英二の目が潤んでいて、「ずっとだ」と言葉をかけるときには涙か汗か、感情がこぼれ落ちていました。
しかし結局のところ、英二がなぜ「ずっと」アッシュのそばにいたいと思ったのか、それを言語化できるほど理解できていません。

けれど、だから、二人の気持ちは最後まで交わらず、アッシュは英二の見送りに行けず、手紙を読むまで英二の気持ちを理解できなかった。

アッシュや英二の感情が揺れ動くさまを、水江さんやくるむくんを媒介にして観ました。英二の気持ちへの理解がうまく掘り下げられないことで、結末への理解が深まった気がします。
素晴らしい舞台をありがとうございました!


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それと、付記として。

あの暗転して真っ暗闇で響く「アッシュ・リンクスの死亡が確認されました」からのエンディングとカーテンコール、後編への導入、という演出が大好きです。ずっとあの曲が頭の中に流れています。生で観れて良かったな。円盤が届いたらここばっかり観ちゃうかもしれない。
後編もすごくすごく楽しみにしています!

5Gハムレットの感想まとめ


5Gハムレットの円盤が届いたときに書いた日記です。

現場で観るには不安の残る情勢だったこと、そして何より私が岡宮来夢くんを今ほどの情熱で推していなかったため、当時は配信で視聴しました。

千秋楽を視聴した際の感想メモをみると、『くるむくんの陽の気がすぎるのか、悲しみに溺れて狂っていくというよりも悲嘆と狂気の中で自分の役を全うしようとした悲劇の主人公ってかんじだった』って書いてました。

私はほかのハムレットを知らないし、戯曲本を読んだこともないので理解が浅いのですが。
ハムレット岡宮来夢くんというキャリアの浅い若い役者のフィルターを通して観たからか、エディプスコンプレックスと性愛への嫌悪を抱えた思春期男子として解釈するに至った作品でした。

たびたび描かれる復讐への葛藤とか、復讐を遂行できずに他者を死に追いやったことを後悔し正当化していくくだりとか、まさしく思春期って感じがしてしまうのです。
まだ地に足がついていないときにしるべを失って、感情を認知できず、責任を負えず、目の前に吊るされた天命らしきものにすがっている悲劇の主人公、というか。
パンフレットは視聴後に購入したので読んでびっくりしたんですけど、くるむくんも16歳説を採用して演じたって言ってたましたね。

改めて観てささったのが、クローディアスが懺悔し、ハムレットが復讐をためらうシーン。彼は父の亡霊に諭されたことで憎悪の感情を高め、救済の余地の入り込まない死を与えようと決意を深める。
このシーンが、すごい、くるむくんの演技も相まってすごい心に刺さりました。
まだキャリアが浅くて若い岡宮来夢くんが、狂気と悲嘆が足りないからこそ、若さゆえに父という指針を失って暴走するさまとして描かれている、ように受け取りました。
それによってハムレットにもクローディアスにも、魅力を感じられました。兄を殺して王座や后を奪ったことに対する罪悪感を抱くクローディアスは人間らしいし、復讐を正当化しようともがくハムレットも青臭くて、人間らしくて、愛おしくなる。

くるむハムレットを見ていると、この子は友達とも恋人とも想い合っていて、おそらくあの日亡霊を出会わなければ、復讐に身をやつすことなく時と共に悲しみを癒やして良き王になれたのでは…と思ってしまうんですよね。

くるむくんの最大の特徴なのかもしれない。親しみやすくて理解がしやすいキャラクターに落とし込んでくれるから、感情移入しやすいし
演じたキャラクターがとても愛らしく見えてしまう、っていう。すごくない?すごい武器じゃん…(推し全肯定オタク)

ポローニアスを刺し「おやすみなさい母上」と歌うシーンでも涙が出てきました。
すごい、なんだろう、無邪気なまま狂ってしまった薄寒さがあった。彼女は母親として徹底的に間違えているけど、それでも、息子の狂気と苦痛を目の当たりにしたときの悲しみもまた真実ではあるよなあ、と。
くるむくんに色気がないことが良い方に作用してたのか、色気あるガートルードに馬乗りしてもいやらしさは微塵もなくて、母親の不貞を嘆く息子そのものに見えました。それで涙が出たのかもしれない。あまりにも、ハムレットがかわいそうで。

あとオフィーリアが死ぬシーンも泣きました。
ほかのハムレットを知らないので理解不足を承知で書きますが、オフィーリアとホレイショーのハムレットへの想いは丁寧に描かれてた気がする。演出脚本の松崎さん独特の解釈なんですかね。
そこがまたハムレットの悲劇を引き立てているように思えて好きです。だって絶対、復讐に囚われなければ幸せになれてたもん、くるむハムレット

この5Gハムレットはだいぶ入門編的というか
総論的な作りなんですかね。
私も今はこの程度の理解だけど、そのうちどんどん理解が深まっていって、そのとき歳を重ねた岡宮来夢くんが再びハムレットを演じてくれたら、どういう気持ちになるんだろうな、ってすごく楽しみになりました。
そういえばくるむくんも月記で言ってたね、今すぐになれなくたってさ、ちょっとずつでいいじゃんね。って。たのしみ!

YGCB2021 大千秋楽 感想



チャリブラみ〜〜〜たよ!のテンションで4/23に書きました。


2階席だったので正直生の推しだ!ていう興奮はあんまりなかったんですけど、双眼鏡で見ていたら岡宮来夢くん、まじでどのシーンも表情も動きも全部が可愛くて幼児性の奇跡という気持ちで頭を抱えてました。

推し補正もあるかもだけど、ライナスくるむ6歳児にしか見えなくてびっくりしたんですよ。
指しゃぶりと安心毛布を手放せないアカチャン感と、本から得た知識を披露したくてたまらない面倒なとこの塩梅が絶妙でした。抱きしめたい…しか残らんのよ…感情…。

キャストのみなさまもめちゃくちゃうまくて子どもにしか見えない。役者さんってすごいですよね。
アッキーさんがおもしろすぎて、1対1で絡むシーンが多くてアドリブで振り回される花村さんと愛夏ちゃんは大変そうだな、と思いました。
「きみはいい人、チャーリーブラウン」は今回が初観劇だったので、スヌーピーを成人男性がやるってどういう?!って思ってたんですが、アッキーさんのスヌーピーをみたら納得しました。スヌーピーが俯瞰で冷静そうにしてるのにめちゃくちゃ間抜けみたいなキャラクターとして昇華されていて原作に忠実だったんですよ。役者さんってすごいですよね。ほんと。

原作の4コマ漫画を活かしたような、1〜2分程度のセリフの掛け合いを歌とダンスで演出するという構成でした。つまり、ほぼ歌。歌の説得力が強めのミュージカルなんです。
このキャスト6人に推しが選ばれたという誇らしささえありました。うれしいね。
推しの故郷である長野での大千秋楽で観ることができて本当によかったです。

「幸せはどこにでもある、君が愛せば」ってセリフが押し付けがましく感じてあんまり好きではなくて、実は内容には期待はしてなかったのです。
でも観劇して、そうか、ピーナッツっていうアイロニーが効いた世界観だからこそ響くセリフだったのかもしれない、と考えを改めました。
すごく素敵なミュージカルでした〜!
何回でも観たいので円盤化を切に望むけど、版権の問題は仕方ないね。でもまた観たいよ〜!

そして、付記として。
カテコで自分へのバースデーソングを歌うよう無茶振りされてなぜかオリジナルの即興ソングを歌い出した岡宮来夢くんを見て頭を抱えました。共感性羞恥の方で。好きな人が無茶して滑って居た堪れなくなると、痴人の愛谷崎潤一郎)のダンスパーティーを思い出すんですよね。くるむくんそういうとこある。好きです。


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岡宮来夢くんお誕生日おめでとうございました

岡宮来夢くんのBirthday Event 2021を全通キメた直後に書いた日記です。


岡宮来夢のオタク、まじでみんな温かい目で推しを見守るので、結果、特有の「これ何の時間?」タイムを助長しますね。
いつもよりめちゃくちゃ長かったです。これ何の時間タイム。とくにお絵描きあたり。
数百人の観客を目の前にして緊張していたっぽいのもあるかもしれない。あと前日に実家に帰れたらしいので、テンションが高かったんでしょうきっと。

表情も動きもめちゃくちゃ可愛くてア…生きてる…て思いました。
「やっと会えましたね」って3回くらい言ってくれて、(多少無茶してでも)来られてよかったな〜!とうれしくなりました。
ジャンプもしたね…意味のあるジャンプだった…たのしかった…。
終始おゆうぎ会に参加してる時みたいな気持ちでニコニコしながら見ていました。可愛かった〜〜!スーツめちゃくちゃ似合ってなくてそこも可愛かったです。

どこを切り取っても可愛いし楽しそうで何より…大好…なのだけど、ただ岡宮来夢くんを生で観て解像度が上がったことによって、お調子者〜!幼児!!!てますます思いました。
このお調子者感ってサービス精神なんだよなあ、というか、相手を楽しませよう、自分も楽しもう、っていう天使みたいな価値観なんだよなあ、とも思えました。

私はお調子者のひとが大好きです。


recoveringの曲紹介も生歌唱もす〜ごい良かったです。
(生歌唱の様子はくるむくんのproject storeにアップされてるのでみてください(布教))

そのまんま受け止めて寄り添ってくれる子だよなあ、って。希望を持ちたいけどそうじゃないときもある、立ち止まることも大切、みたいな言葉が、スッと沁みてくるかんじ…寄り添ってくれてるなあ…って…ウッ……。
しかもさあ…recoveringからのお手紙は…だめだよ…最高の構成でした。
「自分の人格や考え方は変えたくない、変える気はない、安心して欲しい」あたりでめちゃくちゃ涙でました。
「稽古の初めは悲しいくらい何もできないので落ち込むこともある」「いつもリプやお手紙に励まされている」で、ア〜〜書いたこと伝わってるんだあ〜〜ってうれしくなっちゃった。そう思わせてくれることが大事。リプはしないけどファンレターは書いてるオタクなので。


ほんとうに現地で共有できてよかったです。
ファンの私にとって、推しが初めて有客でやる単独イベントは現地で見届けたかった。けど、初めてファンを目の前にした単独イベントを、くるむくんの方もこんなに大切に思ってくれてるなんて。推し活においてこんな幸せなことはないな、と思います。そう思わせてくれることが大事。
月記でも書いててくれてたし、ニコ生でも客席と撮った写真を喜んでくれて、うれしかったです。まあ写真に関しては自分も写ってるので複雑な気持ちではあるけど、どこにも出さないと約束してくれているので…そこまで含めて大好きだょ…。


岡宮来夢くん、慈愛に満ちあふれた人なので、本当に本当に幸せになってほしい。この先の人生が理不尽な不幸で振り回されることのないものであってほしい。
クソデカ感情オタクはそう思います。
23歳のお誕生日、おめでとうございました。