推しの接触イベントに行ったオタクの話
(岡宮来夢くんの写真集イベントに参加してきました)
それは、まるで異世界との接続だった。
私は約2年、岡宮来夢くんという、舞台を中心に活躍する俳優さんを推している。
売れ始めたころコロナが大流行したためか、これまで個人名義での接触イベントはなかった。ほかの俳優さんたちの話を聞くたびに、直接伝えられる羨ましさがあった。くるむくんも、去年のバースデーイベントで読んでくれた手紙に「みんなの顔を見て、一人一人に、ありがとうを伝えられる日が来ますように」と書いていたから、いずれそういうイベントをしたいのかもしれない、と思っていた。
覚悟しなければな、と思っていたところに、2022年の仕事の目標として「接触イベント(*1)を挙げられた。
おそらくは写真集の発売に合わせて開催されることになるだろう。写真集は秋ごろ発売だと言っていたから、その時期になるはずだ。コロナの状況予測としては、日本では例年お盆に感染者が増えた後秋には落ち着く傾向があるから、無事に開催できる目算になる。(*2)お金や予定を調整しなければ。
そう思うと同時に、怖かった。
恥ずかしいのだ。
30代、一児の母。どこにでもいるおばちゃんである。ツイッターで同担さんたちが楽しそうにしていても、絡みに行けず壁打ちのまま。地方に住んでいるので、観劇したら大抵その日のうちに帰る。(*3)現場で同担と思しきお嬢さんを見つけて、その眩しさに目を細めるだけのおばちゃんである。恥ずかしさを共有できる友人はいない。
でも、対面してみたかった。
これまで客席から板の上にいる姿を眺めていた推しと対面して、生きてるんだ、と実感する。そのとき、私はどういう気持ちになるのだろう。興味があった。
マスク必須のご時世に感謝しながら、私はイベントに参加した。
9月11日。私はチェキ会の第3部に参加した。朝飛行機に乗って、イベントに参加して、夜の飛行機に乗って帰宅する。イベントや観劇に行くときのルーティンだった。
入場して通された会場は、体育館みたいな床をしていた。目の前ではカーテンが引かれていた。この向こうでチェキ会をしているらしい。BGMが流れている。くるむくんが演じているキャラクターの原作ゲームのサントラだった。本丸に帰ったような気持ち、にはならず、同人誌即売会みたいだな、と思った。
緊張しすぎて、気が狂いそうだった。だから、懸命に別のことを考えて待ち時間を過ごした。
第3部のチェキ会がスタートし、次々と先に並んだ参加者たちがカーテンの中に吸い込まれていく。さながらベルトコンベア、あるいは回転寿司みたいにして、淡々と私の番が近づいてくる。
カーテンの中、進んでいくと、あっという間にくるむくんの姿が見えた。
私の前の前に並んでいた人が、くるむくんの隣に立って、ビニール越しにハートマークを作っている。
ハートマーク?!??!!!!!!!!
なんてこった。ピースじゃなかったのかよ!
私の頭は真っ白になった。こんなコッテコテのチェキを撮るとは思っていなかった。
いつのまにか私の番になっていた。
「こんにちは〜」
くるむくんは声をかけてくれた。たぶんみんなに挨拶しているのだと思う。私は会釈を返したつもりだったが、なにせ身体はガチガチだったので、わからない。態度が悪かったかもしれない。緊張していて、気が狂いそうだった。
白線の中に立つように、とアナウンスがあった。私は懸命に白線を探した。とりあえず、ここに立つ。立ったら、ポラロイドカメラを見る。ベルトコンベア、あるいは回転寿司みたいな流れ作業だから、迷っている暇などないと思った。
何が何だかわからないままシャッターが切られたのを把握して、終わった。と思った。その時の解放感を今でも覚えている。
緊張から解放された私はいつもの調子を取り戻し、戸惑いを表出した。私は元来そういうタイプである。チェキってどこで受け取るの。キョロキョロしていたら、スタッフの方が指差してくれた。それを受け取って、会場から出る。
捌けたあと、気がついた。
私はくるむくんの顔を見られなかった。
愕然とした。そんなことある?
緊張しすぎて、顔が見られなかった。なんのために行ったんだ。もったいなさすぎる。
空港に向かう電車の中、そして空港に着いてから、チェキ会でのことを反芻した。
くるむくんの身長は夫と同じくらいである。だから、余計に男性であることを意識してしまった。
思い返せば、バースデーイベントに参加したときも同じことを思ったのだ。
配信で観ていたときや、観劇中、私はくるむくんの表情を注視している。感情に重きを置いている人間だからだ。でも、バースデーイベントでは全体を見ていた。顔を見ずに全身に目を向けると、推しが男性であることを思い出す。岡宮来夢くんは、お顔がめちゃくちゃ可愛いだけで、男性なのだ。
最初はそう考えた。それだけだと思った。
空港で夫と食べるお菓子を買いながら、考えを深めていく。
果たして、それだけだっただろうか。
ほんの数時間、自分が抱えていた緊張感を記憶の中からたどる。
たとえば、フレンチを初めて食べた時だとか、ハイブランドのお店で買い物した時だとか、そういう感覚に似ていた。「ここにいて良いんだろうか」「何か間違えてはいないだろうか」。
素因数分解していく。
似たような感覚なら、観劇するたび味わっていた。とくにパライソの会場では強かった。せっかく作って行った団扇は出せなかったし、ペンライトも合ってるのか不安になりながら振っていた。
緊張と羞恥。
言い換えるなら、居心地の悪さである。集団に対して感じているもの。認知的不協和に近い。浮いているような気がする。
だけど、それだけではなかった。
さらに掘り下げていく。
あの瞬間感じた緊張と羞恥は、もうひとつ、別の体験を彷彿とさせた。
カーテンの向こうに異世界が広がっている。体育館みたいな床に、集められた私たち。教室で目立つ快活な同級生たち。生きるステージが違うと感じていた、思春期の私。
例えるなら思春期マインドだった。
小中学生のとき、男子とうまく喋られなかった体験に近かった。
例えるなら、くるむくんは、スクールカーストが違うから遠巻きに見ていたクラスの人気者だった。チェキ会での体験は、教室の隅でこっそり見ていただけの人気者が、プリントを渡してくれた感覚に近かった。
途端、納得と困惑が私を襲う。
気づいたとき、ウワ〜ッと叫びそうになった。そうか。いまだにこういう気持ちに戻るのか。未知の体験だった。
普段、親戚のおばちゃんのつもりで推していたから、困惑した。だけど、考えてみれば当たり前のことだ。私が一方的に知っているだけで、向こうは私を知らない。
そして、私が知っている推しも、いわば「2.8次元」の存在なのだ。
そこにはいつだって、舞台と客席という距離が存在する。同じ次元に存在しているのに、0.2次元分だけ、夢を見せてくれる。(*4)
そしてこう思った。
せっかくだから、次はちゃんと「クラスで一番かっこいい男子がプリントを渡してくれる」つもりで行こう。目を見ることを目標にしようと思った。もったいないから。
9月25日。その日、私は舞台ヒプノシスマイクの昼公演を観た後、一駅だけ電車で移動して、お渡し会の会場を訪れた。
なにせ観劇直後だったので、幸か不幸か、頭の中は先ほど観た舞台ヒプノシスマイクのことでいっぱいだった。その感想をまとめていると、あっという間に列が捌けていって、私の番がやってきた。
減っていく列の中、そうだ、と大事なことを思い出す。
今日の目標。くるむくんの目を見て特典写真集を受け取ること。頭の中に刻む。
カーテンを越えて、異世界へと足を踏み入れる。同担たちの並ぶ列の先に、くるむくんがいた。ベルトコンベアか回転寿司か、サラーっと流れていく中で、フライヤーを配ってるみたいだなあと思った。
「ありがとう」
くるむくんは今回はそう言ってくれた。ありがとうだったよね?あれ。こんにちはだったかも。ヒプステのこと考えてたから実はあんまり覚えていない。もったいない。
記憶は容量オーバーだったが、くるむくんの目を見た、目標を達成したことだけは覚えている。緊張すると目つきが悪くなるから睨んでいたように見えたかもしれない。くるむくんの方も、虚ろというか、ぼんやりとしていたように記憶している。記憶違いかもだけど。
これまでは客席から眺めているだけだったくるむくんと、対面した。私はどういう気持ちになるのだろうと興味があった。実は、よくわからなかった。あまりにも一瞬だったから。
ただ、ものすごく緊張したし、思春期みたいな羞恥を得たし、貴重な体験だった。楽しかったかというとあんまりそうは思わないけど。人生経験として面白かった。
撮ったチェキは特典写真集と同じ場所に保管してある。写真集が届いたら、それも同じところに仕舞おうと思う。
異世界に接続した日の記録として。
*1
1月24日に配信された「ニコ生放送くるむるーむ#25」での発言。
「接触イベント」って言い方かわいくないですか。オタク以外が言ってるの初めて見た。かわい〜〜!(推し全肯定オタク)
*2
コロナの感染状況は以下の二つを参考に推測しています。どの国のグラフも大きな波を描いているので、気の緩みによる感染増の傾向が高い、と読んでいます。あくまで専門外の人間による個人的な意見です!
*3
普段は日帰り観劇してますが、去年のバーイベとチャリブラ大楽は家族旅行と抱き合わせで行きました。長野市芸術館にて父親に「意味のあるジャンプ」をさせられていた幼女は私の娘です。悪目立ちしていたらほんとごめんなさい。
*4