双騎、お疲れ様&ありがとうございました!!!
無事に大楽を迎えられて本当に本当にうれしかった……!
今回はチケットが取れず、現地で観ることが叶わなかったので、初日と大楽の配信をみての感想をしたためておきます。
内容は、顕現したばかりの大倶利伽羅と古参の鶴丸国永が、伊達政宗を守る任務に就く、というものでした。
春風桃李巵(*1)という副題から察せられるように、伊達政宗の回想録として描かれています。
不立文字のごとく、伊達政宗の書いた手紙に基づいて鶴丸と大倶利伽羅が「体験」するかたちで、物語が紡がれていきます。
要は伊達政宗の生涯を通じて、鶴丸と大倶利伽羅が信頼関係を構築する過去エピソード、なんですけど……。
そのさ〜〜!信頼関係の構築の仕方がさあ〜〜?!?!!!!!!!!!!!!!
以下、狂いを三本立てで吐き出していきます。
「悔しさ」を知り、鶴丸を深く信頼するようになる大倶利伽羅
秀吉が統べる時代に生まれ、関ヶ原にも出兵し損ねた伊達政宗は、「天下を獲り逃した」男です。
今回、春風桃李巵ではそこに焦点を当てながら、大倶利伽羅が政宗公に共鳴し、感情を認知していくさまが描かれていました。
大倶利伽羅が初めて知った感情が「悔しさ」なの、め〜っちゃ良い。めちゃくちゃ良い。“らしい”。あまりにもらし過ぎる。最高。
中盤、大倶利伽羅は伊達政宗の生き様に共感し、「なぜ戦わず屈した!」と激昂します。
そして一人で戦おうとするのですが、顕現したての大倶利伽羅では敵うはずもなく。加勢した鶴丸は、彼を冷たい目で大倶利伽羅を見て言います。
「命預けられてもねえのに手ェ出して、悪かったな」。
こっからさ〜〜!デュエットが増えていくわけよ!わかる?!(?)
※デュエット=心が繋がったという解釈です
開始1時間12分ごろ、パライソで大倶利伽羅が歌った「白き息」に乗せて、鶴丸が歌います。
鶴丸は大倶利伽羅の背中に、「赤く滲む悔しさ」を見ていました。
そのとき、大倶利伽羅も、自身の「抗えぬ弱さ」を自覚し、「悔しさに疼く」ことを認知するのです。
「その背中を預ける時は来るのか」。
来るよ!!!!!!!!!!!!!
そこから約20分後、欧州へ渡る支倉常長を狙う時間遡行軍に、なんとふたふりで対峙します。
ここのデュエットがさ〜!最高なんだ〜〜!
ここの鶴丸、「軽妙で酔狂であっても戦うことを忘れたことはない」という公式の説明文まんまなんですよ。
岡宮来夢くん!!!!!!ありがとう!!!!!の気持ちになる。推しててよかった〜〜〜〜〜!
一人でやらせてくれという大倶利伽羅の申し出を尊重した鶴丸は、戦いを見守ります。「武人の仕切り直しだ」と歌い、それを初陣と賛辞するのです。
倒したかのように思われた直後、再び現れた遡行軍に鶴丸が斬られてしまうのですが、それを見て大倶利伽羅が奮起します。
(余談なのですが、ここ、お守りが発動したのかな?と思いました。)
敵を退けたあと、何事もなかったかのように鶴丸は立ち上がるのですが、そこで怒る大倶利伽羅!ワ〜〜!心配だったんだね!!!
鶴丸は「冗談が過ぎた」と笑うのですが、その足取りはおぼつかず、よろめいています。まるでパライソの終盤のように。
ア゛〜〜!
うめき声あげちゃった。
そうか〜〜。ここで初めて見たんだよ。
大倶利伽羅は、鶴丸が弱さや辛さを見せず笑う刀であることを、ここで、知ったわけですよ!
だからパライソではそばに控えて、最後の最後、鶴丸がよろめいた瞬間支えたんだ〜〜。アワ〜〜。強固な…信頼関係……。
それがアイデンティティであるがゆえ、かたくなに「一人で十分だ」と言い張る大倶利伽羅。
彼に「命を預け合う」ことを教えたのは鶴丸でした。
それがみほとせで吾平を失ったあとの「“だから”馴れ合いたくなかったんだ」につながるんだ〜?!と思いました。最高。
「命を預け合う」ことの大切さを、それが「諸刃の剣」であることを、この任務で知っていたから。
先に…鶴丸に教えてもらってたから……。
心に「空いた穴」を「埋めずに逃げる」ことを選択した鶴丸国永
鶴丸に大切なことを教わった大倶利伽羅は、彼を深く信頼するようになります。
第一部開始10分ごろ、顕現直後の大倶利伽羅をボコボコにした後、鶴丸は舞台後方で穴を掘ります。
おそらく、「心の穴」を比喩していると思われます。
それだけでもしんどいんですが…。
最後の方、任務を終えて本丸に帰還した後、鶴丸はその落とし穴に落ちるのです。
彼に手を差し伸べて引っ張り出した大倶利伽羅が、そして、言うのです。「驚いたのはこっちだ」。
それを聞いた鶴丸は、みるみるうちに目を見開き、頬を緩ませ、口の端を歪めます。
ここ、すっっっごい引っかかってる。
こういう流れでした
大倶利伽羅が手を差し伸べたことに対しての驚きだとするなら、「驚いたのはこっちだ」の後に表情が変わるのは、おかしいんですよ。
つまり、鶴丸の表情(=感情)が動いたのは、大倶利伽羅が「『驚いた』と言った」から。
では、大倶利伽羅は、一体何に「驚いた」のか?
──落とし穴が、鶴丸にとっての「心の穴」だと仮定します。
大倶利伽羅の「『驚いた』のはこっちだ」というセリフは、鶴丸の「心の穴」に掛かっていたのではないでしょうか。
つまり、あのシーンにおいて、大倶利伽羅は鶴丸の心の穴に「驚いた」。
こじつけです!!!!!
でもそうすると私の中ですっごい納得がいくんですよ。
鶴丸の「心の穴」から彼を引っ張り出したのにも関わらず、「驚いた」とだけ返した大倶利伽羅に、このとき、鶴丸は預けても良いと思ったんじゃないかな、って。
鶴丸はその穴を埋めることなく、ごまかして逃げていきます。
「心の穴を埋めずに逃げる」という「選択」ができたわけです。
そして、大倶利伽羅は追ってきてくれた。
パライソで、偽悪的に振る舞う鶴丸を諌めることも止めることもせず、そばで寄り添ってくれたように。
大倶利伽羅なら自分を受容してくれる、鶴丸がそう信頼したのは、この時だと思います。
強固〜〜〜!大感謝。
刀ミュ本丸についての考察
じゃあ、鶴丸の「心の穴」って、なんなんだろう。
顕現した直後、なぜか鶴丸は大倶利伽羅に手合わせを仕掛けます。顕現、したばっかりの大倶利伽羅、を!古参の鶴丸が!ボコボコに!!!!!なんで?
正直大興奮はしました。
顕現直後弟分即暴力理解鶴丸、パライソ千秋楽のカテコ後に今回の公演を告知する形で見せてくれて、なのにパライソの円盤には収録されてなくて、あれって審神者の集団幻覚だったのかな?って思ってたので。
現実だった。良かった〜〜!
でも、なんで?
怒りと驚きと悔しさと苦痛を教えるためとはいえ、ボコボコにする必要はあったんですか……?
そのあと、審神者に任務を命じられて出陣することとなり、鶴丸は大倶利伽羅に言います。
「ドーンとやってバーンだ!」「うちの本丸じゃこれで通じる」。
……誰にも通じてませんが。
そう、誰にも通じてないんですよ。鶴丸の「言葉足らず説明」。
ねえ〜〜やっぱこの本丸、一回崩壊してません〜〜〜?!?!!!!!!
(これは単なる妄想なのですが、歌仙は毎回キレてくれてたんだと思う。鶴丸の「言葉足らず説明」に。三日月は笑って、山姥切は呆れてくれてたんだと思う。在りし日の思ひ出…。)
江水で描かれ(匂わせられ)た「折れた初期刀」は歌仙だと思うのですが、歌仙が折れた後、山姥切も三日月もそして鶴丸も、みんなどっかおかしくなっちゃったのかな、って思いました。
要所要所で匂わせられていた「月が欠けていく」「食われていく」「月の裏側」、そのまま三日月宗近を指していると思うのですが、あのころからふら〜っと本丸を離れて物部を作るようになったんでしょうね。
鶴丸が落とし穴を掘るようになったみたいに。
三日月は「三日月宗近という機能」をもって暗躍するようになり、
山姥切は、いつ折れても良いという心持ちで任務にあたるようになった…。
伊達双騎を観た当時は、鶴丸の「心の穴」はシンプルに「仲間を失った悲嘆感情」だと思っていたのですが(「胸にぽっかり穴が空いた」というやつ)、『陸奥一蓮』を観て、違うかも?になりました。
鶴丸は、明らかに「怒り」を強調して描かれています。徹底して「怒っている」。
鶴丸を演じるくるむくんは、ニコ生で、鶴丸について「幼少期に大きな喪失があり人格形成がうまくいかなかった」という解釈を語りました。
「心の穴」はたしかに「喪失」によって空いたものではあるけれど、しかし、喪失それ自体ではなく、それゆえの「欠けた部分」に焦点を当てて描かれているのだと思います。
付記として。
この2年、おもに岡宮来夢くんの「感情表現」に焦点を当てて、くるむくんの演技を見てきました。
それでめちゃくちゃ…めちゃくちゃ驚いたんですけど…、感情表現の、幅!すごい広がってないですか?!
去年の王家でのルカの演技もパライソの演技も大好きだったんですが、今年はもっとすごくなってた気がします。
特に、終盤、大倶利伽羅の「なんだ」に対して「いいやあ?」と返すところ。
驚き、戸惑い、喜び、喜んだ自分に対する自己嫌悪。そんなふうに受け取れました。
それから不立文字!最高だった〜〜!
「小十郎様〜!」のコント演技も初日と大楽だと全然違っていて、演じながら精査されていったんだろうな。
小十郎の妻を演じているとき、愛姫として歌うとき、そして秀吉を演じているときと、それぞれ違う感情を表出し、まったく異なる表情を見せつつも、でもちゃんと鶴丸国永で。
ア〜〜。現場に行きたかったな。
私はいつも劇場で双眼鏡を使ってくるむくんの表情を見てるんですけど、今回はそれができなかったので…。
めちゃくちゃ悔しいです。
もしも再演があれば…もっと大きい劇場で…なにとぞ……。
*1
…伊達政宗が晩年に詠んだ漢詩の最後の一説より。「只把春風桃李巵」。春風の中、桃や李の花を見ながら、ただ杯だけを手にとっている、という意味です。
参考文献
伊達政宗 酔余口号 酔餘口号 日本漢詩選 詩詞世界 碇豊長の詩詞:漢詩 Ribengushi
*2
…途中、鶴丸の「冗談じゃなく、手紙ひとつで歴史は変わるのかもな」というセリフを聞いて、やっぱり、江水での任務は鶴丸なら「放棄された世界」にならずに済んだやつだったんだな〜と思いました。なんでまんばにさせたんだろ〜?!